周陽教会について
About Church

教会・教団について
山口県周南市・徳山の教会「周陽教会」は日本基督教団(日本キリスト教団)に属するプロテスタントのキリスト教会です。
1890年(明治23年)、徳山で歩みをはじめ、創立135年を迎えます。
日本基督教団は日本のプロテスタント最大の教派で、日本全国で約1,650の教会、15万8,000人の信徒を擁しています。英語では、The United Church of Christ in Japan というように、日本基督教団は、合同教会です。明治時代以降、日本で伝道が展開されたいろいろな教派が、歴史的には様々な経緯を経て成立しました。
くわしくは教団オフィシャルサイトの「日本基督教団とは(About UCCJ)」をご覧ください。
正式表記は「日本基督教団」ですが、読みやすいように「日本キリスト教団」という表記も認められています。
教団はプロテスタント教会、教団、関連団体等の相互の連絡・協力のための団体「日本キリスト教協議会(NCC)」に加盟しています。
周陽教会は日本基督教団の中では、西中国教区(山口県・広島県・島根県)の山口東分区(山口県周南市・下松市・光市・岩国市・柳井市・周防大島町、広島県大竹市)に属しています。
教会のあゆみ
| 1872年(明治5年) | 日本基督公会 日本初のプロテスタント教会が横浜で設立 |
| 1877年(明治10年) | 日本基督公会が継承され日本基督一致教会成立 |
| 1890年(明治23年) | 「日本基督一致教会山口教会徳山伝道場」として山口県都濃郡徳山村にて歩みを始める 同年、日本基督一致教会が日本基督教会に改称 |
| 1891年(明治24年) | 「日本基督教会鎮西中会直轄徳山講義所」として山口教会より分離 11月 「鎮西中会(九州地方)直轄」から「山陽中会直轄」となる |
| 1900年(明治33年) | 「徳山村」が町制施行で「徳山町」となる |
| 1908年(明治41年) | 「日本基督教会 徳山伝道教会」となる |
| 1924年(大正13年) | 新丁上(現在の弥生町上)の家屋を集会場とする |
| 1928年(昭和3年) | 「日本基督教会 周陽伝道教会」に名称変更 |
| 1932年(昭和7年) | 伝道教会から独立し、「日本基督教会 周陽教会」となる 山口県都濃郡徳山長字才ノ森(代々小路)6303に教会堂建築を始める(現在地) |
| 1933年(昭和8年) | 4月 現在地の最初の教会堂の献堂式 |
| 1935年(昭和10年) | 「徳山町」が市制施行で「徳山市」となる |
| 1941年(昭和16年) | 6月 宗教団体法によりプロテスタント33教派が合同で「日本基督教団」創立 それに伴い、名称が現在の「日本基督教団 周陽教会」となる |
| 1945年(昭和20年) | 7月 徳山空襲により教会堂焼失、8月終戦 |
| 1946年(昭和21年) | バラック建礼拝堂建設(旧軍施設建築物の払下げを受け、移設) |
| 1950年(昭和25年) | 戦後復興教会堂建設 |
| 1951年(昭和26年) | ルース台風により牧師館・日曜学校校舎が倒壊 |
| 1952年(昭和27年) | 牧師館再建 |
| 1960年(昭和35年) | 教会付属「ひまわり幼児園」開園(~1976年閉園) |
| 1963年(昭和38年) | 納骨堂建設 |
| 1967年(昭和42年) | 教育館建設 |
| 1979年(昭和54年) | 教会墓地建設 |
| 1980年(昭和55年) | 9月 創立90周年記念礼拝、90年年記念誌刊行 |
| 1986年(昭和61年) | 現在の教会堂・牧師館が完成 →詳しくはこちら 株式会社一粒社ヴォーリズ建築事務所の沼田正雄氏による「カタコンベ」をイメージした設計 |
| 1989年(平成元年) | リードオルガン購入 |
| 1990年(平成2年) | 1月 教会墓地改修完成 10月 創立100周年記念礼拝、記念誌刊行 |
| 2003年(平成15年) | 「徳山市」が新南陽市、熊毛町、鹿野町と合併し、「周南市」となる |
| 2025年(令和7年) | 創立134年を迎えた 6月 海老原道宣牧師を主任担任教師代務に迎える |






牧師紹介

Pastor Michinobu Ebihara
海老原道宣牧師
日本基督教団 岩国東教会 牧師、岩国めぐみ幼稚園 園長
主任担任教師代務として、第3日曜日に説教と聖餐式の司式をしてくださっています。
結婚式・葬儀・墓地について
結婚式、葬儀についてはご相談ください。
周南市内に教会墓地がありますので、お問い合わせください。
毎年11月に永眠者記念礼拝、墓前礼拝を行っています。(2025年は11月16日)